プロフィール

1972年 4月2日
1985年 七宝小学校卒業
1988年 七宝中学校卒業
1991年 私立尾関学園高等学校卒業
1991年 ミノルタカメラ株式会社入社
2003年 VK-テクニコ(衛生設備業)設立

プロフィール

■ 過去の役職

・七宝町サッカー協会会長
・国府宮はだか祭り 宝友会初代会長

■ 現在の役職

自民党愛知県連青年局
遊説副委員長〜事務局長〜次長を経て青年局顧問に就任(2019現在)
自民党あま市海部郡支部・七宝地区長
新庁舎建設特別委員会 副委員長
あま市七宝町桂地区 顧問
桂地区コミュニティ協議会 顧問
あま市サッカー協会理事長
あまKFCグループ 総代表
あまFC 代表監督
あまシニアセレクト 代表監督
VK-テクニコ(衛生設備業)代表
国府宮はだか祭り 宝友会名誉会長

■ 生い立ちと政治を志した理由

●生い立ち
私は生後8ヶ月でで父を亡くし、母子家庭で育ちました。厳しい生活環境、与えられた環境で一生懸命に生きていく中でなんでも”自分でやる”習慣と気概が作り上げられました。

小2の時にサッカーと出会い、なんでも”自分でやる”だけでなく、和をもって活動をする事の大切さや、仲間との絆を育み、その中でリーダーシップも磨いていきました。中学、高校、社会人と、チームの中心的な選手として活躍し、自分がやらなければ!という気持ちは更に強く磨かれていきました。

●きっかけ
1993年からサッカーやバスケットボールクラブ、サッカー協会の運営、地域のボランティア等を経験しながら、その仲間たちとのサークルを作りあげていきました。その中で学んだ事を活かして、VK-テクニコ(衛生設備業)を起業。内装、設備関係の経験と知識を深めていきました。

●その途中に
1995年 阪神淡路大震災
当時、衛生設備業に従事していた私は、被災地の応急仮設住宅建設の作業員として神戸市に入りました。大規模災害の破壊力をその目で見て「もし地元だったら、家族だったら」と感じた事を記憶しています。その経験に強い刺激を受け、のちに発生した中越沖地震でも復興支援に関わり、内に秘めた思いも強くなっていました。

そして、自身の年齢も30代後半に差し掛かり、事業も安定しつつあった《2011年3月11日》に東日本大地震が発生。再度被災地へ向かいました。

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現地の状況を見て、1995年阪神淡路大震災の時に感じた「これが地元だったら、家族だったら」との思いが更に強くなりました。長年ボランティアを経験していた私も「これはボランティアだけではどうにもならない」と考えるようになりました。災害地の復興支援に関わり、大きな意味での政治に関心を持つようになりました。

●転機
お隣の稲沢市にある尾張大國霊神社(国府宮)に古くから伝わる〈国府宮はだか祭り〉に、あま市七宝町が大鏡餅の奉納をする事が決定。当時の七宝町長の指名を受けて、七宝町のはだか男を取り仕切る〈七宝宝友会〉の初代会長に就任する。そこで地域の名士との繋がりが出来上がっていきました。

母子家庭で育ち、スポーツを愛好し被災地で刺激を受け、お祭りの会長としてリーダーシップを発揮した結果、若手の代表として選挙を戦ってみないかという打診を受け、出馬することになりました。自民党愛知県連青年局に入局し、政治的な勉強を重ねて選挙戦に突入しました。

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そして2015年4月 初当選(5位)

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・「奮闘地方議員」で特集が掲載される

座右の銘は「凡事徹底」
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